甘栗の歴史
現在日本で私たちが食べている天津甘栗は、栗を熱した小石の中で砂糖をかけながら煎ったものです。
この栗の食べ方は、いつごろどのようにしてでき上がったのでしょうか?また、甘栗はいつごろ日本に紹介されたのでしょうか?京都の甘栗の老舗、林万昌堂がお伝えする甘栗の歴史。林万昌堂の歴史と併せてご覧ください。
天津甘栗の誕生
栗の栄養素でも述べたとおり、栗は実に6,000年以上も前から人々に親しまれてきました。
古代中国の文献「詩経」や唐代の「礼記・内則」などにも登場していますが、その当時は焼き栗や棗(なつめ)の実と合わせて飴にするなど、現在の天津甘栗の食べ方とは異なる方法で、栗を食べていました。
では、現在のような天津甘栗はいつ作られたのかというと時代はさらに上って、元の時代西暦13世紀ごろ。
文献中に「糖炒栗子」というものが見られます。これは、麦芽糖に栗を混ぜて砂と一緒に釜で焼くというもので、麦芽糖によって栗の皮を甘くし、見映えをよくするという工夫がなされています。
これは、原理的には現在の甘栗とほぼ同じ。今から700年前にはすでに、現在のような甘栗の作り方は確立されていたのです。
日本へ渡った甘栗
中国では元の時代から食べられていた甘栗ですが、日本に渡ってきた時代は意外と新しく1910年代、神戸の南京町で食べられたのがその始まりとされています。
南京町で食べられるようになった甘栗はやがて人気を博し、様々な人の手によって日本中に伝えられていきました。
また、日本では甘栗のことを一般的に天津甘栗と呼びますが、これは日本独自のもの。
中国全土で収穫された甘栗は、天津の港に集められ船積みされて出荷されいています。そのため、港の名を取った天津甘栗が代表的な名前として日本に定着したのです。










