林万昌堂と甘栗

明治7年「くわいや武兵衛」の屋号で創業した当店は、
今日まで甘栗専門店として営業を続けてまいりました。
当店は創業以来、京都の中でも最も賑わいのある四条通りと新京極通りが
交差する場所に本店を構えており、大正期には、新京極周辺の劇場から
芝居を見て帰られるお客様の土産物として当社の甘栗が喜ばれておりました。
じっくり、そしてゆっくりと直向きに栗と向き合い、
独自の焼き技法を確立させてまいりました。

甘栗は焼きたてが美味しいもの。
その日に売る甘栗はその日焼き上げたもののみ。
「宵越しの甘栗は販売しない」
これは当店が創業以来ずっと貫いてきた妥協なき味へのこだわりです。

天津甘栗の誕生

栗は遥か6,000年以上も昔から人々に親しまれてきました。
古代中国の文献「詩経」や唐代の「礼記・内則」などにも登場していますが、
その当時は焼き栗や棗(なつめ)の実と合わせて飴にするなど、
現在の天津甘栗の食べ方とは異なる方法で、栗を食べていました。
現在のような天津甘栗が食されるようになったのは、元の時代の13世紀ごろからで、
当時の文献に「糖炒栗子」という記述があります。
その内容は、麦芽糖に栗を混ぜて砂と一緒に釜で焼くというもので、
栗に小石を付着させ、見映えをよくするという工夫がなされています。
これは当店が受け継ぐ甘栗の製法とほぼ同じであり、今から700年前には既に
現在のような甘栗の製法が確立されていたことになります。

日本へ

中国では元の時代から食されていた甘栗ですが、日本に伝来したのは1900年代で、
神戸の南京町から徐々に広まった甘栗はやがて人気を博し、
その後様々な人の手によって日本中に伝えられました。
また、日本では甘栗のことを一般的に「天津甘栗」と呼びますが、これは日本
独自のものです。
中国全土で収穫された甘栗は、天津の港から船積みされ出荷されいているた
め、港の名が由来となり「天津甘栗」という呼称が代表的な名称として日本に
定着したと言われています。


林万昌堂のこだわり

  • 素材
  • 焼き
  • 伝統